誰もが「わらしべ」を持っている。

あなたはゴミ屋敷に入ったことがありますか?

僕はひょんなことからゴミ屋敷に住まう女性(40代)のお宅に通ったことがあります。

それはもうテレビで放送されているあのまんまの光景です。

足の踏み場がないのは言わずもがな。床は一切見えません。ゴミの山、山、山。散乱した雑誌は液体を吸ってふやけている。いつ食べたか分からないカップ麺の容器が転がっている。女性が吸うタバコの煙と混ざった部屋の空気は、どんよりと黒ずんでいました。

そこに彼女が座る空間だけが、ゴミを押しのけるようにして、ぽっかりうかんでいます。
まるでその空間だけ、時間が止まっているようです。

僕はそのアパートの一室に、三日間掃除に通いました。
ようやく姿を見せた床(フローリング)の表面は、ホコリを取り込んで固まった液体の層によって覆われています。
最終日には家の中のフローリングに水をまきブラシをかけました。
そんな銭湯の浴槽を掃除するようなまねを、まさか一般住宅の部屋でする日がくるとは。
なかなか貴重な経験でした。

成果は40リットルのゴミ袋が40袋。

全てを終えてから、窓を開け、陽光がサッと入り風が通り抜けていく感覚は、まさに清々しいの一言。彼女も嬉しそうです。
一大プロジェクトを終わらせた僕らは気持ちの良い汗をかきました。なんともいえない達成感。

お金に困っている彼女は、
お金に囲まれて暮らす。

この彼女、実はお金に困っていました。

事情により職を失ってからは生活保護を受給しての生活です。
しかも収入がないにもかかわらず、返せる見込みのない借金まで抱えていました。
そしてさらに、あろうことかスマホゲームの課金によって、その借金はさらに膨らんでいたのです。

このへんはなかなか理解に苦しむところですが、何かで “時間を潰す” ことをしないと、途端に恐怖や不安が彼女の心を占拠してしまうようで、その恐れからゲームに依存してしまったようです。

さて、そんな彼女の家を掃除していると、思いもよらないものがたくさん出てきました。おそらくみなさんの部屋を掃除しても、これほどの数は出てこないはず。なんだと思いますか?

答えは、お金です。

お金がたくさん出てきた。それも紙幣はゼロ。硬貨だけが次々出てくる。

最初「お金見つけましたよ」と渡していた僕ですが、次第にあまりの量に、その都度報告することをやめ、用意した瓶に入れるようになりました。
しかも、その硬貨の種類はおもしろいぐらいに、その金額と比例しています。

というのも、一円玉が一番多く見つかり、次に五円玉、十円玉の順に多い。最後は五百円玉、これが一番少ない。
硬貨の種類と見つかった枚数の相関を調べると、きれいな右肩下がりのグラフになります。

お金に困っていた彼女は、お金に囲まれて暮らしていたのです。

百万円の値打ちの一円玉。

「お金がなくて本当に困っている」と打ち明けてくれた彼女に、私はお金でいっぱいになった瓶を渡しました。

彼女はそのあまりの量に驚いていました。ずっしり重たい瓶。受け取ると彼女は「ありがとう」と言いました。

僕はそれを聞いてちょっとおもしろく感じました。
なぜなら、それはもともと全部彼女のものだからです。

その後、彼女からいろいろな話を聞かせてもらいました。家族のこと、職場のこと、友人関係のこと、病気のこと。彼女の口から語られるそのどれもが、過酷なものでした。
僕は一通り話を聞いたあと、次のことを彼女に伝え、約束してもらいました。

「○○さん、家はきれいになりましたけど、ほっておくときっとまたもとのゴミ屋敷に戻ってしまいます。そうならないためには心の勉強が大事です。こんど、私の家(教会)におみえになりませんか?そして、一緒に心の勉強をしましょう」

「うん。いいよ」

「ありがとうございます。それと、一つだけお願いがあります。教会にくるときは、いくらでもいいので、神様に御供えしてください。一円玉でけっこうです。ただし、その一円玉はピカッピカに磨いたものを持ってきてください。約束できますか?」

「それくらい、いいよ。一円でいいんでしょ」

「もちろん。でもピカッピカの一円玉ですよ」

翌週、彼女は約束通り教会を訪ねてくれました。

「可児くん、私、本当にがんばって磨いたんだからねー。見てよースゴイでしょ?」

嬉しそうに、ちょっぴり自慢げに彼女は言いました。
そして、神殿を参拝しピカッピカに輝く一円玉を神妙な面持ちで賽銭箱に投げ入れました。その後、場所を神殿から談話室にうつし、小一時間ほど相談を受けたり、談笑したりしました。

それから彼女は、月に二度ほど通ってくれました。その度に、ピカッピカの硬貨を握って。

粗末にすると粗末にされる

ある日、いつもの通り彼女が神殿で参拝し、お金を供えると、ポロッとあることを口にしました。

「可児くんさぁ、私ほんとうにお金に困ってるんだよ。だから、このお金だって、本当はとっても大事なものなんだからね」

僕はそれを黙って聞いて、いつものように二人で談話室に移動しました。そして席についてから笑顔でこう言いました。

「○○さん、こんなこと、本当は言いたくないんですけど、今日は○○さんが来てくれるので、朝から妻がこの部屋に掃除機をかけてくれました。
そのあと、寒い思いをさせたらいけないと思って、ストーブをつけて、コタツを用意させてもらいました。
それと○○さんはコーヒーがお好きだから、いつも妻に淹れて持ってきてもらってるんです。
このお茶菓子は、さっき僕がコンビニで買ってきたものです。
───これって、金額にしたらいくらですかね。さきほどの御供えの金額より、よっぽどかかっているとは思いませんか?」

すごく嫌なやつです。
彼女は黙って聞いてくれました。
僕は続けます。

「でも、本当はそんなことどうでもいいんです。
こちらがしたくてしてることです。
それよりも、○○さんがさっき、御供えのときに言った一言が、僕にはとても残念だったんです。
たしかに大切なお金だと思います。
ただ、○○さんは自分がしたことは、私はあれもした、これもしたと、一つ一つカウントしているようですが、他人にしてもらったことも同じように一つ一つ大切になさっていますか。
掃除のとき、部屋にはお金がたくさん落ちてました。
僕にはお金に困っているのに、お金を粗末にしているように見えました。
お札は大切になさってるようですが、硬貨はそこらへんに転がっていた。
それができるのは、価値がないと心のどこかで思っているからです。
人は何かを粗末にすると、そのものに粗末にされます。
それはお金もそうだし、○○さんを大切に思ってくれている人に対してもそうです。
人は大切にするから大切にされるんです」

そのあと、彼女がなんと答えたかは忘れてしまいました。
でも翌週、彼女はまたピカッピカの硬貨を握りしめ、笑顔で教会を訪ねてくれました。

初めに触ったものを、大事に持って旅に出なさい。

わらしべ長者のお話をご存じの方は多いと思います。
真面目に働く貧乏な男が、観音様に祈願して、そこから運命が好転していきます。
男の持ち物はわらしべ一本から始まり、物々交換を経て、最後には家屋敷を手に入れて、裕福に暮らすお話です。

案外知られていないのですが、このお話のいちばんの眼目(と僕が思っていること)は最初に語られます。
それは、男が貧乏から何とかして逃れようと観音様に願をかけたときのお告げの場面です。

「初めに触ったものを、大事に持って旅に出なさい」

それが観音様のお告げでした。
男はこのお告げを守って、最初に手にしたわらしべを大事にしたのです。

彼女は、もしかしたら、すでに自分に与えられているものを大事にすることを怠ったのかもしれません。
これは僕自身もそうです。誰しも「わらしべ」を意識することは容易ではありません。
だからこそ、それは「わらしべ」なのです。

私たちは、すでにあるものを大切にすることが苦手です。そして、ないものを得ようと必死に努力します。
そうすると、足元がグラグラしてくる。いつか倒れるときがくるかもしれない。

彼女もきっと、いろいろな事情が重なり、結果としてそうなったのだと思います。
それでも、もし、観音様が夢に出て同じお告げをして、彼女がそれを守っていたら、違った人生が待っていたかもしれない。

「初めに触ったものを、大事に持って旅に出なさい」

───私たちはもう、すでに触れている。誰もがわらしべを持っている。

部屋いっぱいに散らばっていた一円玉を受け取った彼女は「ありがとう」と言いました。
いままで気づかれなかった存在が感謝された。それは彼女が「わらしべ」を手に取った瞬間です。
ピカッピカに磨かれた一円玉は、いつか彼女の未来を祝福してくれるかもしれない。

私たちは今度こそ、与えられたものを大事に持って旅に出ようと思います。

(※本稿掲載にあたりご本人の了承を得ました。感想を聞くと「可児くんあのとき怒ってたの?ま、お互いさまだよねー」とのこと。感謝!)

掃除道具と一円玉

文:可児義孝 絵:たづこ

tabinegoto#10

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