2021年4月26日 / 最終更新日時 : 2021年5月13日 yoshitakakani 旅寝言 -tabinegoto- 信仰心は、量産できない。 「信仰の喜び」がテーマの講演会。冒頭、私は述べます。「信仰の喜びを伝えることは、原理的に不可能です」 ───なぜでしょうか? 本の内容を “全て” 知って買う人はいません。事前に情報をどれだけ集めても “自分にとっての価値” を保証しません。「本を買う」それは “賭け” です。信仰も、また。
2021年4月19日 / 最終更新日時 : 2021年4月24日 yoshitakakani 旅寝言 -tabinegoto- 違っていて、しかも一緒。 新型コロナウイルスのもと、人々は場所を「分散」し、時間を「ずらす」などの努力を重ねてきました。つまり私たちはいま、「それぞれ」で「違う」ことを目指しています。一方、テレワーカーの間で「サボっていると思われていないか不安」という声が。私たちは「それぞれ」であり「一緒」である。共通性こそ、多様性を生む土壌かもしれません。
2021年4月12日 / 最終更新日時 : 2021年4月12日 yoshitakakani 旅寝言 -tabinegoto- 書を眺めるには筆を取れ。 「臨書には大きな意味がある。それは “書く” ほうが、より “見られる” ということ」 お手本を真似て文字を書く、臨書。それが「見るために書く」って、不思議ですよね。世の中には私たちが思う以上に、「ぱっと見」では分からないことが、たくさんあるのかもしれません。いくつになっても未知の世界の存在は、人の心を弾ませます。
2021年4月5日 / 最終更新日時 : 2021年5月6日 yoshitakakani 旅寝言 -tabinegoto- 見て共に楽しむ。 たとえ無観客であってもスポーツ大会の開催は可能です。聖火リレーの沿道に人がいなくても、それによって聖火が消えることはありません。どうも「観客」は不可欠な要素ではないようです。いっぽう、子どもは何かするたびに「みてー」と声をかけます。他愛もない「みてー」、それはピュアでエッセンシャルな人の営みかもしれません。
2021年3月22日 / 最終更新日時 : 2021年3月22日 yoshitakakani 旅寝言 -tabinegoto- 今日もアメノウズメが舞っている。 いつからか応援ソングと呼ばれるものが苦手になった。素直に聞けない。歌詞を真っ直ぐに受け取ることができなくなった。それよりも、ダークなトーンの曲を好むようになった。もしくは美しい曲。──なんの意欲もわかないとき、虚しさでいっぱいのとき、それでもかろうじて聴くことができるのは、そうした音楽でした。
2021年3月15日 / 最終更新日時 : 2021年3月15日 yoshitakakani 旅寝言 -tabinegoto- バイブルは更新されない。 膨大な情報に接する現代人。ハイデガーは「情報とは命令である」と言いました。私たちは情報を活用しているつもりが、情報に駆り立てられているのかもしれません。その対局にあるのが、情報ではなく “言葉” と向き合うこと、です。バイブルの持つ効用について書きました。
2021年3月8日 / 最終更新日時 : 2021年3月9日 yoshitakakani 旅寝言 -tabinegoto- 10年間生き延びてきた言葉。 東日本大震災から10年。あの異様な日々が僕にもたらしたのは、ある切実な感覚だった。それは言葉に結実し、10年という歳月を生き延びた。───けれども。時間だけが癒やすこともあれば、時間が残酷に奪ってしまう何かもある。僕たちは折りに触れ大きな出来事を振り返り、いまの言葉で語り直す必要がある。節目を「節目」とするために。
2021年3月1日 / 最終更新日時 : 2021年3月1日 yoshitakakani 旅寝言 -tabinegoto- 人生のBGMに耳を澄ませよう。 自分の鼓動を耳にしたことがありますか?いつもそこにあるのに、意識しないと聞こえない音。同じように自分の心の癖は自分と一体であるため、なかなか感じ取れないものです。でもそれは映画のBGMのように、私の人生に様々な彩りを与えています。夜の廊下を怖がる娘の心にはホラー音楽が鳴り響いています。私はどんなBGMと共にあるのか。