2021年5月17日 / 最終更新日時 : 2021年5月18日 yoshitakakani 旅寝言 -tabinegoto- 神の子どもたちはみな遊ぶ。 「夢は?」と聞かれれば、「一生遊んで暮らすこと」と答える。大人になって、よく考えて出した答えだ。もちろん、夜遊び、火遊び、女遊びの類ではない。最近よく聞く「遊びを仕事にしよう」的なものでもない。意味するところは、「何事も遊びであるかのように、楽しめる人間でありたい」ということ。それはきっと、こどもと、神様の振る舞い。
2021年5月10日 / 最終更新日時 : 2021年5月13日 yoshitakakani 旅寝言 -tabinegoto- 僕らは遊ぶために生まれてきた。 「人は何のために生きるのか」あなたはどう答えますか?「そんなの答えようがない。そもそも設問が間違っている」そうかもしれません。でも、私はこう答えます、「僕らは遊ぶために生まれてきた」。これは、ロジカルでマジカルな “答え” です。なぜなら、遊びだけがあらゆる問いを遮断するから。「人間の本質は遊びにある」というお話です。
2021年4月5日 / 最終更新日時 : 2021年5月6日 yoshitakakani 旅寝言 -tabinegoto- 見て共に楽しむ。 たとえ無観客であってもスポーツ大会の開催は可能です。聖火リレーの沿道に人がいなくても、それによって聖火が消えることはありません。どうも「観客」は不可欠な要素ではないようです。いっぽう、子どもは何かするたびに「みてー」と声をかけます。他愛もない「みてー」、それはピュアでエッセンシャルな人の営みかもしれません。