依存をかみしめながら生きてゆく。

「自立」とは、依存しなくなることだと思われがちです。でも、そうではありません。「依存先を増やしていくこと」こそが、自立なのです。(熊谷晋一郎)

いい言葉だと思った。

長年にわたるうつ病とアルコール依存で苦しむ友人にLINEでこの言葉を送ると、秒で返信が来た。たった一言、「そりゃそうだろ」。

外野が “いい言葉” を送るまでもない。友人には自明のことだったのだ。この言葉が当然のように鳴り響く地平を彼は生きている。

依存先の有無が、生きることに直結するような世界。
人との関係性、社会資源、住環境 ,etc. それらはまさにライフライン。
そう多くはない細い糸を頼りにする生活には、不安や怖れがつきまとう。だからその存在には敏感にならざるをえない。
私たちがそれらをことさら意識しないですむとしたら、それは恵まれているからに他ならない。

「自立とは依存先を増やすこと」

僕も幾度となく依存先に救われた経験がある。そしてそのつど痛感する、依存先の力を。友人や、家族や、自然や、住み慣れた街の力を。
僕を支える様々な力があるからこそ、いまこうして “立って” いられるのだ。

でもそれは、自分が窮地に陥らないと、なかなか感じられないものかもしれない。

圧倒的に与えられると
人は不感症になる

人は心を病むと自分の存在を肯定できず、いたたまれない気持ちや、虚しさに襲われることがある。無力感や弱さに苛まれたりもする。人を妬んだり、素直になれなかったり。それはとても辛いことだ。

ただ、そこで初めて磨かれる感性もある。というより、半ば強制される。自分という存在が脅かされ弱ったことで、「自分以外の力」を鋭敏に感じられるのだ。強いときは気づけない。

「有り難い の反対は 当たり前」と言うけれど、それは平時の言葉だ。友人に紹介した “いい言葉” のように、僕が言えばリアリティに乏しく、観念の域を出ない。だから、実際には、もう少しシビアな表現が適当かもしれない。

「常にある存在は無に等しい」

身体が動く、呼吸をしている、朝日が昇る、四季にうつろう自然がある、挨拶を交わす他者がいる ───どれも当たり前だ。
当たり前を通り越して意識にのぼらない。その存在を忘れさせるくらい「圧倒的に与えられている」。それは「無」に等しいかもしれない。

その無に等しい存在を感じるには、よほどの “視力” がいる。

弱いからこそ感じられる光

ブラックアウトになったとき(僕の住む北海道は、3年前にすべての電力供給がストップし、灯り一つない夜を経験した)、空には文字通り満天の星が輝いていた。家族全員に声をかけ、夜空を見上げたのを覚えている。翌日には復旧し、それきり星々は姿を消した(復旧はもちろん嬉しかったが、少し残念だった)。

もちろん、星は消えていない。ただ僕らの眼に映らないだけだ。見えないけれど存在している。
光に慣れてしまった僕らの網膜は、何光年と離れた星が放つ微かな光をキャッチすることはできないのだ。

逆説的だが、ブラックアウトは眩(まばゆ)い夜を立ち上げる。

ブラックアウトという “非日常” が、僕らの視力を回復させるのだ。

電力が復旧し日常が戻ったいま、満天の星を見ることはできない。
それでも、日常にあって、「星はたしかに輝いていた」と思い起こすことはできる。夜空を見上げれば鮮やかにイメージできる。
それは非日常を経験したからこその、新しい日常だ。

人は非日常にずっと住まうことはできない。
もしできたなら、それは単に非日常が日常化しただけだ。環境に適応し、すぐに視力は衰える。
大事なのは、非日常で見た光景を、日常で忘れずにいること。そしてときどき思い出してみることだ。

あなたが自立していられるのは、大小無数の “依存” のお陰かもしれない。

不安な依存から豊かな依存へ

人は依存をネガティブなものととらえがちだ。

でも、依存の字をよく見ると「依って在る」と書く。
それは豊かな関係性の網目の中で自己をとらえている。そこには肯定の響きがある。
他の助力なしに、自分だけの力でやってゆくことを「独り立ち」というが、それは関係性の網目への無自覚さからくる幻想かもしれない。眩いばかりの強い自己像で周りが見えなくなっている。そうなれば「立つ」ことは「断つ」に転じてしまう。

反対に、たった一つの依存先では、失うことへの恐れから、かえってそれを傷つけてしまうかもしれない。
だからこそ、関係を四方へ広げる。幾重にも張り巡らされた依存先をもつことで、人はかえって強く生きられる。

そして、その依存先は人とは限らない。
アドラーは「全ての悩みは対人関係である」と言った。けれど、養老孟司さんの言うように、花鳥風月、つまり自然を愛でることで、私たちは「人+自然」の世界に生きることができる。
人間の世界だけで生きていると、その関係に亀裂が入ると1/1がダメ、つまり100%アウトだが、自然を愛でる感受性があれば、たとえ人間関係が悪くても、自然という1/2が残っている。それだけ豊かな世界に生きていけるのだ。

生きることは無数の依存で成り立つ。
そしてその網目が私たちの生を構築している。

依存は豊かさだ。

「自立とは依存先を増やすこと」 その言葉に「そりゃそうだろ」とこたえる。
そんな新しい日常をおくりたい。

漢字の「人」を再現する二人

文:可児義孝 絵:たづこ

tabinegoto#08

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