その闇は、あなたの深さ。

報われない経験をしたことがありますか?

自分のもてるありったけを投入したけど、何も返ってこない。
一切の努力が、何ら実を結ぶことなくついえていく。
ブラックホールのように私のエネルギーを吸い尽くし何の応答もない。虚無。
それはとても辛いことです。

報われない、それは一生懸命書いた手紙に何の返答もないこと。
既読マークはつかない。手紙の封が切られたのかも分からない。投函したポストから回収されたのかすら知る由はない。
虚しさと、悲しさと、怒りと、恨みと、後悔と、切なさと、もろもろが混じり合った灰色をした何か。

できることなら、そんな経験はしたくありません。
それでも私は信じたい。その報われなさだけがあなたに報いてくれるものがある、と。

報われなさは暗い穴を掘る。
それはあなたの深さ。

そんな報われなさが生まれる “ため” には二つ条件があります。
一つは「望む結果」もしくは「こんな感じになってほしい」という確固とした希望や方向性が自分自身の中にあること。
一つは、その目標に向かって全力を尽くすこと。
つまり、心と行いがあるところにしか「報われなさ」は生じません。
それは、思い描いた目標、手繰り寄せたい未来と、結果との間にできた距離。
掲げたゴールに1ミリも近づくことができなかったのなら、それは「報われなかった」ことに他なりません。ゴールが明瞭であればあるほど、報われなさもまた明瞭な影を落とします。
期待がないところに失意は生まれません。

相手のためを思い精一杯の誠意で応じたが、相手の恨みを買ってしまった。感謝されないだけならまだしも憎まれてしまった。真実込めて向き合った相手から、否定的な反応が返ってきた。そんなとき人の心は心底虚しい気持ちで覆われます。

こうすれば良かったのか。あれは余計だったのか。自分が未熟だったのか。遅すぎたのか。伝え方が不味かったか。相手のためと思っていたが結局は自分の価値観の押し付けだったのか───。
答えのない問いや仮定が自分の中をぐるぐる回り始めます。それは、どこまでもどこまでも私を掘る。シャベルとなって暗い穴を掘り進める。次第に光が届かなくなる。そこに闇が広がるほどに。

でもそれはいずれ、私の “深さ” となっていく。闇はその深さゆえ。
報われなさがもたらす暗い影は、それゆえにあなたの深さとなる。それは報われなさだけが掘ることができる、心の領域かもしれません。

そのことはあなたが「望む結果」でも「こんな感じになってほしい」という希望でも方向でもなんでもないものです。むしろ、そうなれなかったからこそ生まれ落ちるもの。
失意が影を落とす。そこに広がる闇。その深さ。それはあなた自身の深さ。
報われなさが唯一あなたに報いるものです。

深さはあなたの層となる。

心と行いを傾注しても、求める結果が得られなかった。

それは失敗です。プロジェクトは失敗に終わった。未来への期待は裏切られた。

でも、その失敗という評価そのものは、あなたが当初に想定したレースの枠内でのこと。それがたとえどんなに重要なレースで失敗が許されないようなものに感じても、あなたの生全体は、その一事に還元されません。
そうでしょう。それだけがあなたの全てではない。あなたの生はもっと広範にわたるものです。

期待は裏切られた。それは、期待というとても強い焦点、願望にフォーカスするからこそ感じるもの。その報われなさは、今度は焦点を緩めるようにして、あなた自身の心を涵養する。それは無形の財産です。
これは理不尽に耐えろとか、強靭になれということとは違います。その傷は、痛みは、ちょうど土壌に入る鍬のようにあなたの心を耕す。そこにまた新しい種がまかれ、いずれ豊かな実を結ぶ。

それがいったい何をもたらすのか。
人の痛みがわかる。それもあるでしょう。でも、ここでその深さが何にどのように役立つかについて具体的に述べることは私にはできかねます。その力もないし、必要もないと思うのです。
私はただ経験的に、人間的な魅力を抱える多くの人の共通項として、そうした「報われない経験」があると感じています。それは出会ってすぐに知られることはないのですが、この人は何か深いものがあるなと思って付き合っていると、何かのタイミングでその出来事を知ることがあります。それが、その人の今を形作っている。そう思えてならないのです。

報われない経験をした人は、深い。

その深さは人を惹きつけ、この人になら私の弱みや本音を安心して出せる、受け止めてもらえる、そんな風に思わせる空気をまといます。深さはそっと包みこむ。心の層が一段と増している。

そそいだ心と行いが一切の痕跡を留めず、虚空に消えてしまうことはない。

報われなさは、あなたの希望を叶えないことによって、より大きな何かで報いてくれている。

一生懸命書いた手紙は、相手を思い言葉を選びペンを走らせる行為そのものによって、すでに報いてくれているのです。
それは、一度として精一杯の手紙を書いたことのない人には持ち得ない、あなたの深さです。

チェアに腰掛けくつろぐ青年

文:可児義孝 絵:たづこ

tabinegoto#30

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