「変えること」と「受け入れること」

人は「変わりたい」と願う一方で、「そのままでいいんだよ」と受け入れてほしい生き物です。

他でもない、僕がそうです。

「変わりたい」は現状不満だけど、希望があります。

「そのまま」は進歩がないけど、肯定があります。

大事なのは何を変えて、何がそのままでいいと思うか、その線引きやバランスなのだと思います。

「ステキな自分になりたい!」と思って、髪型を変えたり、笑顔を心がけたり、言葉遣いを意識したり、自然な努力は本人を魅力的にします。

けれども、主人・嫁のここがイヤ、子供が言うことを聞かない、親の理解がない、自分の顔がイヤ、もっと身長がほしかった・・・。そうした自分に与えられたものを悪く思う気持ちは、環境を改善しないばかりか、本人の魅力まで奪ってしまいます。

そうした心のありようは、与えられた環境それ自体よりも、もっと奥深いところで、私たちの生を損なっていくように感じます。

シンプルな “識別する知恵”

キリスト教の神学者ラインホルド・ニーバーに次の言葉があります。

「神よ、変えることのできるものについて

それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。

変えることのできないものについては

それを受け入れるだけの冷静さを与えたまえ。

そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを

識別する知恵を与えたまえ」(大木英夫訳)

彼の言葉にあるような「識別する知恵」を身につけるのは、たいへんなことのように思えます。

でも、僕はシンプルに考えるようにしています。

変える努力が楽しいこと、それは、「どんどん変えていったらいいよ」という合図。

反対に、変えようと思えば思うほど辛くなること、それは、「そのままでいいんだよ」というサイン。

そう考えると、無理なく自然のうちに、人生が上向いてくるように思えます。なんというか、この考えかた自体がとても “軽い” からです。

重い荷物をもっては遠くまで行けません。その点、この考え方は、わりといい “旅のお供” になると思っています。

そうして、旅に慣れる頃には自然と体力がついてきます。重い荷物(より深い考え方)を持つのは、それからでも遅くないはず。


いつもこころに、変える楽しさと、受け入れる愛情を。

髪型を気にして鏡を見る人

文:可児義孝 絵:たづこ

tabinegoto#03

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