雑草の哲学
今年の夏、僕は雨が好きになりました。草抜きをするようになったからです。
雨後の湿気を十分に含んだ土は、草を抜くには絶好のタイミングなのです。
草抜きを続ける中で気づくことがあります。それは「植物は自らが適した環境に生育する」ということ。
観察すると、雑草にもそれぞれに得意とする環境があるのがわかります。日差しを燦々(さんさん)と受けるところ、日の当たらないところ、雨露の多いところ、屋根に隠れたところ、硬い土、柔らかい土・・・・
いつも決まった場所に決まった植物。たとえ根から抜いても、また同じような環境に生えてきます。
ということは、これは「ランダムではない」と言えるはずです。
自然界の法則は「適者生存」
人は適した環境を自ら選べる
よく「置かれた場所で咲きなさい」という言葉を聞きますが、置かれた場所で生き残れるかどうかは、その植物の環境適性によります。サボテンの種を小川のほとりに置いても、花は咲きません。
人間だって自然の一部。無理な環境では育ちません。
ただ、人間は他の生物と違い、環境に身をゆだねるだけでなく、自分で環境を選び、さらに手を加え整えることもできます。それはルール違反ではなく、立派な生き方の一つだと思います。
そして自分はもちろん、他者の環境にも心を配れるのが人間です。
「逃げる」はネガティブな響きですが、何よりも大事なのは「生きる」こと。それは「逃げ」ではなく、「選び」「整える」こと。
避けられない宿命なら受け入れる強さも必要ですが、それはレアケース。まして、それを人に強いることはできません。
環境を変えるときは、それを「逃げ」や「負け」と思わず、雨露をたっぷり含んだ土が、草抜きを容易にするように、潤いの心で、そうする自分や他者に接していきたいと思います。
自らを活かす土壌があってはじめて、生命はたくましい根を張ります。
いつも住みよい所へ。
文:可児義孝 絵:たづこ
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