信仰ってなんだろう?日常をちょっと違った角度から眺めてみる。あるいはちょっと視点を上げてみる。そうすると、見慣れた景色も違った表情を見せてくれるかもしれません。「旅寝言」は信仰と日常の接点を探すエッセイです。
2021年2月22日 / 最終更新日時 : 2021年2月22日 yoshitakakani 旅寝言 -tabinegoto- 誕生日より先に、あなたの存在がある。 身の回りのモノの誕生日(制作日や購入日)をいえますか? 答えはほぼノー。対して人は必ず自分の誕生日を知っています。それが自明なのは、それに先立つ「私という存在の価値」が自明だから。価値を貶めるとモノはツクモ神に、ヒトは怨霊になります。それができるのもまた「私という存在の価値」の力です。それを自覚し、豊かに生きるために。
2021年2月15日 / 最終更新日時 : 2021年2月21日 yoshitakakani 旅寝言 -tabinegoto- となりのダイバーシティ 趣味が合う人とは仲良くなれる反面、かえって些細な違いが決定的になる場合があります。異文化に対しては「理解しよう」という気持ちが働くのに、同属には「なんで分からないの?」となりがちです。そこにはダイバーシティの指標で測れない、脆く儚い「個」の存在があります。
2021年2月8日 / 最終更新日時 : 2021年2月22日 yoshitakakani 旅寝言 -tabinegoto- 僕らは合理と非合理を必要とする。 「もう息子いらないね」僕は母に向かってそう言いました。なぜなら、僕よりずっと素直で優秀な存在が現れたから。ところがその彼がある日突然、反抗的な態度に出た──。人は合理性だけでは生きていけない。合理と非合理の二つの重心が私たちの “生きる” を支えている。そんなお話。
2021年2月1日 / 最終更新日時 : 2021年2月7日 yoshitakakani 旅寝言 -tabinegoto- 受け取って生きる。 人から受けた好意にはお返しをするのが社会人のマナー。でも、お返しをすることで “損なわれしまう何か” があるかもしれない。実は等価交換は人と人の関係を切り離していきます。一方で「ただ、受け取る」ことが、最上のお礼となる場合もある。そんな「善意」と「受け取り」と「お礼」をめぐるお話です。
2021年1月25日 / 最終更新日時 : 2021年3月1日 yoshitakakani 旅寝言 -tabinegoto- 誰もが「わらしべ」を持っている。 あなたはゴミ屋敷に入ったことがありますか?そこには「宝物」がたくさん眠っていました。宝物の正体は? 観音様のお告げとは? 彼女は現代の「わらしべ長者」になれるのか? これは現在進行系の実話です。
2021年1月18日 / 最終更新日時 : 2021年2月7日 yoshitakakani 旅寝言 -tabinegoto- それは、愛情モンスター。 大人になってからも駄々(だだ)をこねたいときってありますよね。人は年齢とともに自然と成長する部分と、そうではない部分があります。根源的な欲求は子どもも大人も変わらないかもしれません。駄々をこねてる自分や他人にちょっとだけ優しくなれる、そんな文章です。
2021年1月11日 / 最終更新日時 : 2021年2月7日 yoshitakakani 旅寝言 -tabinegoto- 依存をかみしめながら生きてゆく。 自立とは「依存先を増やすこと」。この言葉を聞いて「依存」のイメージが一新されました。不安な依存から豊かな依存へ。自立している人も、依存して生きる人も、どちらにも読んでほしい文章です。多様な依存が僕らを強くしてくれます。
2021年1月4日 / 最終更新日時 : 2021年3月18日 yoshitakakani 旅寝言 -tabinegoto- 心に無限大を描けるか。 高い境地にありながら、同時に低い心(謙虚な心)であることって難しいですよね。実は “無限大” と向き合うことでそれは可能になります。湯葉職人の言葉を手がかりに、信仰について考えてみました。