旅寝言 (tabinegoto) はじめます。

はじめまして。教会青年の可児義孝(かに よしたか)です。当ホームページの運営を担当しています。よろしくお願いします。

さて、芭蕉の句に、

旅寝してわが句を知れや秋の風

とあります。

身にしむ秋風の中で旅寝(旅先で寝ること)をしたことがある者にしか、わが句はわからない。どうかあなたも漂白の旅をしたうえで、わが句を味わってほしい。

という内容だそうです。

・・・だそうです(笑)そう、僕は俳句に疎いのです。ただ、芭蕉は好きで彼の格言のいくつかは、僕自身の大事な言葉となっています。

さて、タイトルの旅寝言(たびねごと)、これは僕の造語です。

旅寝+寝言=旅寝言。

旅寝とは、常の住まいを離れてよそで寝ること

旅先で寝ることばかりではなく、外泊にも言うそうです。

教会生活が基本の僕は旅寝という風流とは無縁です。

でも、ここで芭蕉が詠っている内容は、おそらく現代のバケーションにおける観光旅行や、代理店によるツアーのように整備されたものではないはず。

それでは「わが句を知れや秋の風」という、下の句のイメージとの繋がりません。

そうではなく、漂泊(流れただようこと。居所をきめずさまよい歩くこと。さすらうこと)の旅を詠っている。これは当時(江戸時代)の旅人の実感、リアルな心境であったと思います。

そこで現代に生きる僕は解釈を少し広げて、旅寝の旅を「人生の旅」と読み替えてみました。

「人生は旅である」とは使い古されたイメージですが、現代ではかえって、その感覚が薄れてきていると感じています。

というのも、現代は情報に溢れ、「こうすればこうなる」というハウツーが簡単に手に入り(僕自身たいへん助かってるし、利用しています)、相対的に体験の価値が高くなってはいるものの、その体験自体も資本が扱う商品であり、誰かに用意されたもの、計算されたものであったりします。

極端にいえば、それは想像可能な世界、想定内の世界であり、それと芭蕉の「旅寝してわが句をしれや秋の風」という世界観とは距離があるように思うのです。

「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではない。

これはアメリカの生物学者、レイチェル・カーソンの言葉です。

彼女は”センス・オブ・ワンダー ”(神秘さや不思議さに目をみはる感性)の大切さを説いています。

「まわりにあるすべてのものに対するあなた自身の感受性にみがきをかけるということ。それは、しばらくつかっていなかった感覚の回路をひらくこと、つまり、あなたの目、耳、鼻、指先のつかいかたをもう一度学び直すこと」

それが豊かに生きるうえで大切な”センス”だと。

僕がここでいう「人生の旅」とはそうした文脈で、与えられた生に自身を投じていくこと、感覚の回路をひらいて自身の生を味わっていくこと、を意味します。

そして「感覚の回路」は、なにも五感だけとは限らないですよね。人は目に見えないものも感じて生きてゆく存在です。

それは、旅寝の本義である「常の住まいを離れてよそで寝ること」、言い換えると「常の住まい」=「生を固定的に眺め、新鮮味もなく、ただ過ぎていく日常にまかせるままの人生」から「離れ」ることにかなうと思うのです。

そして寝言。これはみなさんご存知の通りです。

俗に「寝言は寝ていえ」と言います。

この場合の寝言とは「訳のわからない言葉。ばかばかしい言い分。たわごと」のことで、「そんなことは寝言同然だから寝言として言え」、という意味です。

僕は起きてパソコンに向かって文字を打つわけですから、この「たわごと」の意味で使ってます。わりとしっくりきています。だいたい僕の考えることを分類すると「たわごと」の部類に入るな、と(笑)。

旅寝の寝言。僕は僕の生におけるたわごとをここにつらねていこうと思います。

日常を違う角度から眺める。
視点を上に持ってゆく。

僕は天理教を信仰しています。その僕が書く文章です、ベースには信仰があると思います。意識しても、しなくても。

でも、できるだけ信仰の言葉、信仰の語りによらず、身近な言葉で表現していきたい。

信仰は遠くにあるものではなく、日常にあるもの。他者に開かれたもの、と思うからです。

ですから芭蕉のように「わが句を知れや」と遥か彼方から後に続く者に呼びかけ鼓舞するのではなく、僕の旅寝の実感をこめた、僕の手に馴染む言葉をつらねていきたい。そう思い、このタイトルにしました。

ここまでもったいぶって書きましたが、なんのことはない、要は「信仰エッセイ」ですね。

ですが信仰者に限らず、広く読まれたいと欲張ることを忘れずにいたいと思います。信仰の有無にかかわらず、何か読み手の心にポジティブなものが浮かべば、そうした気持ちで書いていきます。

日常を普段と違う角度から眺めてみる、あるいはちょっとだけ視点を上にあげてみる、そうして今まで気づかなかった景色を一緒に感じてもらえれば嬉しいです。

寝言ですから、きっと訳のわからない言葉であったり、たわごとであったりすることもあるかと思います。そんなときは「こんなふうに考える人もいるんだな」と笑ってください。

そんな言い訳を最初に用意して、できれば週イチ(SEO対策!)で記事をアップしていこうと思います。

ちなみにイラストは妻の手によるものです。

“生かされつつ生きる” 僕の旅寝の寝言。お付き合いいただけると幸いです。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

本を読む旅寝言の執筆者

文:可児義孝 絵:たづこ

tabinegoto#00

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