愛情って、メンドクサイ。
同じ種類の犬でも、日本とアメリカでは鳴き声が違うってご存知ですか?
日本では「ワンワン」、アメリカでは「バウワウ」と鳴きます。そう、違うのは「鳴き声」ではなく「聞こえ方」ですね。
なぜ聞こえ方が違うのか? それは私たちは実際の音ではなく、「それぞれのフィルター」を通して、世界を見て、聞いて、感じているからです。
犬の鳴き声はアメリカ人には「バウワウ」、正確には「Bow wow」と聞こえます(一般的に)。でも、本当の犬の鳴き声は日本語でも英語でもない。犬語(?)です。それを日本語や英語にすると、どうしても無理に当てはめることになる。そしていったん「犬の鳴き声はワンワン」と覚えると、それからはどんな犬の鳴き声を聞いても「ワンワン」と聞こえてくるから不思議です。
そのとき、私たちの耳には「本当の鳴き声」が聞こえなくなっているのかもしれません。
「フィルター」は年齢を重ねれば重ねるほど強くなります。それは悪いことばかりではありません。経験であり、成熟でもあるからです。私たちはそれにより人の気持ちを「察し」たり、物事を早く「処理」したりできます。
でも同時に、「本当の声」が聞こえてないのかも、と振り返ることも大切。
私たちはときに人の発言や行動、起きてきた出来事に対し、自分のフィルター越しに勝手に悪い解釈をしてしまうこともあるからです。
ちょうど犬語を日本語にあてはめるように、無理やり人を自分の枠にあてはめ「処理」しているのかもしれません。
聞き取れない心を、聞き取る。
赤ちゃんは言葉を発しません。だから親は表情や仕草、一つ一つにこどものメッセージを探ります。
本当は、言葉を発する大人だって、お互いに丁寧に向き合うことで、いままで聞き取れなかったメッセージが聞こえてくるのかもしれません。
私たちは言葉が話せるあまり、言葉を頼りにしすぎて、言葉で “言い争い” になってしまう。でも、言葉が話せない赤ちゃんとは言い争えません。だから私たちは精一杯向き合います。その精一杯を人は “愛情” と呼びます。
私たちは急いでいたり、何かに追われていたりすると、どうしてもその手間を惜しみます。サッと処理したい衝動にかられます。それはお互いにツライことです。でも、できない自分を責める必要はありません。同様に、できない相手を責める必要もありません。まずは、そうした余裕を持てる環境づくりから始めるのがいいかもしれません。
フィルターを外すのはたいへんなことです。でも、人や世界と丁寧に向き合うことで、その都度、フィルターを掃除したり、微修正することはできます。そのとき、世界はもっと鮮やかで魅力的な姿を示してくれるはずです。
かの文豪・夏目漱石は「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳したといいます。
私はそんな粋な感性は持ち合わせていません。でも、世界を美しく読み解く人への憧れは、いくつになっても大切にしたいです。
文:可児義孝 絵:たづこ
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