「人生に対して何も賭けていないからだ」そう言うと友人は笑った。
一昨年の春、友人に連れられ、初めて競馬場に行きました。
4月7日、阪神競馬場、桜花賞。JRA(日本中央競馬会)主催の重賞レースの中でも最高峰のレース(G1)です。
午前10時に奈良県天理市を出発。電車で阪神競馬場の最寄り駅・仁川を目指します。
近づくにつれ、競馬新聞を広げる乗客、いかにも競馬好きっぽい渋い身なりの中年男性、競馬の話題で盛り上がるカップルなど、気づけば一車両まるまる競馬ファンなんじゃないか、という雰囲気に。それくらい狭い車内に、レースへの期待や興奮が充満しているようでした。
乗り継ぐこと90分、仁川駅に到着。
それはまるでUSJの最寄り駅ユニバーサルシティ駅!「ようこそ阪神競馬場へ」の大看板。競馬場を目指す人の長蛇の列。迷いなく黙々と歩みを進める人々。警備員による誘導。・・・スマホを見て立ち止まる僕は注意され、脇道に避難しました。
駅から競馬場までは地下道で一直線。その壁一面に、歴代の名馬の写真が。心踊るキャッチコピーの数々。競馬を知らない僕でも、気持ちの高鳴りを抑えられません。
到着した阪神競馬場は、桜花賞の名の通り満開の桜で迎えてくれました。
吹き抜けの気持ち良い巨大エントランス、フードコート、屋台、お土産屋、ポニーとの触れ合い広場、噴水を囲む自然豊かな憩いの場など、そこは家族で楽しめる一大エンターテイメント会場です。
レストランで昼食を済まし、いよいよレース。
「桜花賞まで時間があるから、それまでのレースも100円くらい馬券を買おう」
適当に判断し、4レースほど賭けました。その後いよいよ本命の桜花賞。僕は友人のアドバイスを受けつつも、「マニアの彼でも当たり外れがある。素人の僕がどうしたって分からない」と思いましたが、「こんな機会は滅多にない」と2000円ほど馬券を購入し、いざ本番!
その結果は・・・
予想は完全にハズレ。
馬券はただの紙切れとなりました。
賭け事は“賭ける”から面白い。
が、ときに“レース”を疑うことも大事。
今回僕が何よりおもしろかったことは、「100円でもいいから自分のお金をかけると、レースが一気に楽しくなる」ということでした。
お金をかけなくてもレースは観られます。でも、どこか他人事。間近に見る馬は迫力満点ですが、興奮とまではいきません。落胆もない代わりに感動もない。ところが、たった100円でも賭けると違います。文字通り、手に汗握るレースです。
それで思いました。
「もし君の人生がつまらないのなら、それは君が人生に対して何も賭けていないからだ」
「自分自身を投資せよ、そうすれば人生はもっとおもしろくなる」
セリフのように、急に友人にその言葉をかけると、友人は笑いました。
何かを賭けると、そこに強いつながりが生まれます。そしてその賭け金は、お金とは限りません。情熱であったり、時間であったり、愛情であったり。
そう考えると、私たちが一番投資しているもの、それは親子関係かもしれません。
親は子に信じられないくらい投資しています。
投資は回収したいのが人の常。そして投資と期待は比例します。だからこそ、そのレースに負けると、悔しかったり、文句を言ったりする。でも、本来、賭けた馬がレースで勝たなくても、それは怒ることではありません。私が勝手に賭けただけ。
もしかすると、そんなレース(ある価値観による優劣)自体、存在しないのかもしれない。
ただ、そう簡単に済まないのが親子関係。愛憎は表裏一体。憎しみがあるところには、その裏に必ず愛情が眠っているはずです。
というわけで、もし、僕の人生がつまらないのなら、それは僕が何も賭けていないから。身銭を切って挑むからこそ、そこに喜怒哀楽が生まれる。興奮と落胆と。
───そんなことは百も承知で、それでもベットする(賭ける)私でありたい。
ギャンブルの魅力に目覚めた35才の春でした。
文:可児義孝 絵:たづこ
tabinegoto#06